2010/03/31

スピリット・ブラザーズでのイベント、幼少の部終了

 昨日の朝。
 体調絶不調のまま、羽根木へ。幸い、今朝の明け方に低気温の底は打ったらしい。徐々に暖かくなるとの予報。晴れている。
 10時半くらい、機材準備をしようと早めに行ったら、裕貴ちゃんがもう来てくれていた。手伝ってもらって、機材準備。
 東松原の〈スピリット・ブラザーズ〉という店で、世田谷の〈福音寮〉という児童養護施設の子どもたちを相手にイベントをおこなうことになっている。その一日め。もう一日、4月5日にもある。げろきょではこれを略して「スピブラ・プロジェクト」と称している。
 参加メンバーが来たので、みんなで手分けして機材を運んでもらいながら店に移動。機材というのは、楽器、スピーカーやミキサーなどの音響関係。店に直行組とも合流し、さっそくセッティング。この店では、以前、「メイドたちの航海」というライブをやらせてもらっているので、勝手はわかっている。
 我々以外にもほかの参加者や全体のスタッフも来る。ほかの参加者でタップダンスの人や歌の人など、私たちの音響機材を使う人がいたので、私たちがいなかったらどうしていたんだろうと思った。とくに歌の人など私のことをすっかり「音響さん」と思っていたようだ。

 スピブラの店長から皆さんへの挨拶。〈福音寮〉の子どもたちはいわゆる被虐待児童なのだが、こういう境遇の子どもたちになんとか役にたてないかとずっと思っていた、若いころはバンドをやったりずいぶん無茶をやったものだが、あるときに心を入れ替えて食の世界にはいった、店を持ってからずっとこういうことを実現したかった、それが実現して本当にうれしい、というようなことをいわれた。ちょっと感動的だった。
 自分のやりたいことがお金とか名声とかではなく、だれかの役に立ちたい、子どもたちの目を輝かせるためにやりたい、ということであることが本当に純粋で美しいと思った。

 子どもたちが来る前にあわただしく食事をとりにいく。
 戻ってみると、子どもたちはすでに来ていて、イベントが始まりかけていた。全体の司会進行を豊津さんががんばってくれている。1日めの昨日は年少組で、2歳から小学校6年生までの子どもたち。バルーンアートのお姉さんから風船で作ったおもちゃをもらったり、タップダンスのお姉さんの演技を見たあと、我々の出番。小学校向け「Kenji」をやる。30分くらいかかるけっこうたっぷりした演目なので、途中はざわついたり、なにしろ食事をとりながらなので子どもたちより大人の声のほうが大きかったりしたが、それでも出演者たちは席のあいだに分け入り、自分の感覚をフルに開いて子どもたちとコミュニケーションをとっていった。私たちにとってもとてもいい経験をさせていただいた。
 終わってから書道家の深津諭美子さん(深津絵里子さんの母上)が朗読に興味しんしんで、いろいろと質問された。

 午後4時すぎに全終了。子どもたちとのハグタイム、お別れの時間。感激して泣いているのは大人のほうが多い。
 撤収して、また機材をかついで羽根木の家までぞろぞろみんなで歩いて帰った。

2010/03/20

「朗読はライブだ!」第三期最終ライブ発表&朗読パーティーレポート

 2010年3月20日、土曜日。
 第三期となる「朗読はライブだ!」ワークショップの最終ライブを兼ねた朗読パーティーを、現代朗読協会「羽根木の家」で開催した。
 奇しくもこの日は、現代朗読協会が特定非営利活動(NPO)法人として東京都から認可を受けた日である。2006年だから、満4年ということになる。まだまだ若い。というより、まだたった4年しか経っていないのか、という感慨がある。私にとってはいろいろなことがびっしりと詰まった4年間である。

 準備のために早めに羽根木の家に行く。11時半すぎ。
 音響関係の準備をひとりでやっていると、小梅ゆかりが来た。今日は暖かく、縁側に日が当たって、看板猫のムイがゴロゴロしている。その写真を撮っている。
 玻瑠あつこと槐なおみが来た。今日の舞台装置である「書」の準備をする。朗読テキストのなかにある言葉をいくつかピックアップして、半紙に墨で書きつけ、部屋のあちこちに張りつけておくのだ。
 ふなっちと佐原さんも来た。出ハケとか、音楽とのからみとか、軽くリハーサル。実をいえば、ワークショップのなかでは音楽と合わせることはまったくやっていなかった。ほとんどまったくのぶっつけ本番で音楽と合わせるのだ。が、このワークショップは、音楽にせよ、オーディエンスにせよ、その当日のその環境、刺激にたいして反応していけるための練習をやっていたわけだから、最終発表といえどもワークの一環なのだ。

 開場時間の午後2時半。お客さんが来始める。家族や知人、友人が中心だが、けっこう満席感となる。
 午後3時、ライブスタート。
 トップバッターは佐原さん。朗読ライブはまったくの初心者で、そもそもひと前でなにかやるということが未経験。それにしては、しっかりと観客に目くばりし、動きもまじえて、堂々とやっている。演目は芥川龍之介のちょっと異色な作品「春の日のさした往来をぶらぶら一人歩いてゐる」。私はマリンバの音を使って共演してみた。
 二番目は小梅さんによる永井荷風の『濹東綺譚』の抜粋。大人なシーンがある部分なのだが、観客に中学生がいたので、ちょっとドキドキ。女の「知らないわよ」という意味ありげなセリフがウケていた。私はピアノの音で共演。
 三番目は槐さん。これもワークショップでは音を合わせることはなかったのだが、今日、初めてピアノの音を合わせることになって、実に生き生きと楽しく読んでくれた。中学校「ホームズ」のときもそうだったのだが、槐さんの動きが目まで楽しませてくれた。お客さんで来られていたご主人が、しきりにケータイで写真を撮られていたのがほほえましかった。
 四番目は玻瑠さん。坂口安吾の「南風譜」という難しい作品を読む。ふなっちがレインスティックで波の音を演出。それと、今日、急にやることにした私のパーカッションの音源を使った即興を合わせてみる。おもしろい効果が出せたと思う。
 ソロ発表の最後は、ふなっちによる「雨ニモ負ケズ」。これはさんざんいろいろな人に読まれていて、いわば「手垢がついた」作品といっていいものだが、ふなっちとの対話のなかで演出ヒントをもらい、とてもユニークなパフォーマンスに仕上がったと思う。もちろんまだまだ未完成な部分はあるが、おもしろかった。もう少し追求したい作品だ。

 ソロ作品が終わったあとは、全員による群読作品の発表。夏目漱石の「声」という短編を群読用に構成した作品。
 これは第一期のライブワークショップの発表でも使ったものだが、当然のことながら出演者が変わるとがらっと違った感じになる。
 お客さんから暖かい拍手をいただいて、全終了。

 終わってから、お茶会。
 お客さんも交えて、全員に自己紹介と感想を聞かせてもらう。それぞれの方の感想が本当に楽しくて、ありがたい。とてもいい会になった。出演者はもちろんのこと、今日の来客の方々のおかげだと思った。
 次回第四期のライブワークショップは、4月18日からスタート予定。初日のみ日曜日だが、あとはいつもどおり、土曜日の開催になる予定。

2010/03/17

中野ピグノーズ「げろきょでないと」第十回ライブレポート

 2010年3月16日(火)夜。
 2009年11月にスタートした中野ピグノーズでの現代朗読協会の定期ライブも、今回で10回めを迎えた。毎月2回、まったくお客さんが来てくれなかった日もあれば、盛況の日もあった。いずれにしても、小さなスペースなので、毎回アットホームな雰囲気だったし、またそれゆえに融通のきく、ある意味わがままな実験的試みを許してもらえる場所として、現在にいたるも貴重な場所である。
 今日はそんなピグノーズのライブに敬意を表して、いつもよりやや早めに行ってみた。
 オーナーのmizuhoさんはすでに店に来ているようだが、買い物にでも出かけているらしく、留守。ドアが閉まっている。外で待っていようと思ったら、照井くんがやってきた。
「早いですね」
 なんてことをいわれる。私はいつも時間に正確だ。たまたま前回は用事があって遅くなっただけなのだ。

 ふたりでおなじ階の飲み屋の、客引きをやっている店員をからかいながら待っていると、やがてmizuhoさんが帰ってきた。
 店に入る。
 ほどなく、櫻子さん、卯妙さんもやってくる。
 楽器やマイクのセッティング。私は今回は小型のシンセサイザーを持ちこんだ。
 唐さんも来た。
 お客さんでizaさんがいらしてくれた。「沈黙の朗読」にもいらしていただいて、そのときの話をさせてもらう。

 今度、スピリット・ブラザーズでやる「Kenji」組が3人いたので、後半部分をやることになった。野々宮、照井、唐の3人で、配役をやりくりしながら「Kenji」の朗読。私はいつもどおりのピアノと、シンセも少し使ってみたりしながら手探りで。
 今日書いたばかりの新作「共同存在現象」という詩を、野々宮卯妙に読んでもらう。私はシンセの音源とリズムも使った「攻め」の音でからんでみた。なかなかおもしろかった。
 そのあとは櫻子さんが芥川を読んだり、唐さんが東北弁の昔話を読んだり、このふたりで「祈る人」をやったり、途中でベースの山野さんが参入してくれたり、照井くんがブルースをバックに「鯉魚」を読んだりと、大変バラエティに富んだことをあれこれやれて、楽しかった。
 最後は野々宮が岡本綺堂の「百物語」を全部読んで、締め。
 撤収して外に出たら、すこし冷えこんできていたが、たいしたことない。

2010/03/15

「沈黙の朗読」ご来場の方の感想紹介

「沈黙の朗読 - 記憶が高速を超えるとき - 」にご来場いただいた方が残してくれた感想メッセージを紹介します。その節はご来場いただき、まことにありがとうございました。
 メッセージのなかに照明の話が出てきますが、照明はゼミ生の照井くんにやってもらいました。ほとんど打ち合わせなしの、照明も即興セッションといっていいものでした。いい仕事してましたね。
 また、よく聞かれるんですが、音楽もすべて即興です。なにも打ち合わせはなく、リハーサルもなく(そのせいで上演時間を見誤ってしまいましたが)、あるのは最初に提示されたテキストと、空間と、演者とオーディエンスが共有する時間の流れだけです。

◎朗読というのは、初めての経験でした。面白い体験の時間が持てたと思います。映画や劇は経験があったのですが、何しろ初めてで、どう聞いていいものやら。途中、客席から女性の笑い声がきこえてきて、そう、感じたままに聞けばいいのかと思えました。「沈黙」がある方が「朗読」の力が感じられました。即興の音楽は面白かった。(57歳男性)

◎沈黙なのに、自分の頭の中がごちゃごちゃしゃべってる。演者の仕草、表情を見て、また自分の中でいろんな言葉が出てくる。それがとてもおもしろかったです。無意識下の記憶、意識上の事実、互いに浮き沈みしあうのもおもしろかったです。

◎初めて「朗読」を観に来ました。前衛的でシュールな雰囲気に圧倒されましたが、笑いあり、哀しみありで、聴きごたえがありました。「沈黙」という間の情感、情景と「音」(効果音、ピアノ……)の沈黙の反面とバトル。ひとつの劇となり、素晴らしい舞台でした。パッキン!!

◎朗読というより、完全なパフォーマンスだと感じました。日ごろ、そう言えばあれこれ考えながら(ムダなことを)大事なことを忘れて生きてることをおもい出しました。それから、沈黙というのは、こちら側(聞く側)が入りこんでいれば全く苦痛でないことに気づきました。よく「演じる側が入りこむ」ということが重要視されていますが、こちら側としても、聞く側のテンションも大切なんだな、と思いました。ぜんぜん辛くなかったです。あ、裕貴ちゃん、20歳でどうしてそんなにすごいのか……

◎沈黙の朗読、とても面白かったです。刺激的でした。またお話させてください。

◎不思議な時間でした。時間が伸びたり縮んだりしてるような感覚。朗読を見るのは2回目ですが、表現力を楽しむことができてとても良かったです。照明さんとの合わせ方も素敵でしたし、音とのからみ合いがとても不思議で素敵な空間を生んでいたと思います。

◎沈黙、空間が空くことで、それまでの言葉、直前の言葉が様々な意味に変化していくように感じました。面白かったです。これだけの間を作れることがすごいと思いました。私なら焦ってどんどん話してしまう。オープニングアクトも素敵でした。暗くて切ない雰囲気が好きでした。

2010/03/09

上祖師谷中学校朗読プログラム「ホームズ」レポート

 2010年3月9日、火曜日。曇のち雨一時みぞれまじりの雪。当然、寒い。
 午前9時45分に京王線の仙川駅で出演者たちと待ち合わせ。野々宮、唐、菊地、玻瑠。槐は直接学校で合流。
 寒いなか、震えながら、世田谷区立上祖師谷中学校まで15分くらいかかっててくてく歩いていく。マイクスタンドが足りないというので、自前で2本持ってきたのだが、それをぶらさげていく。
 学校に着くとすでに槐さんは到着していた。世田谷文学館の根岸さんが玄関まで出迎えてくれる。控え室の音楽室にはいる。暖かい。担当の早川先生と久しぶりのご挨拶。
 すぐに会場の体育館に行き、マイクやらピアノ位置、記録用ビデオカメラのセッティング。音テストをかねて、かいつまんでリハーサルをやる。初めての演目なので、位置感覚がけっこう難しい。そして私はひとり、ステージ上にあるピアノを弾くのだが、ステージの上からはフロアのみんなの声がほとんど聞こえない。マイクを通した声もくぐもってはっきりとしない。ほとんど勘でやるしかない。これは、前回の小学校「Kenji」公演でも経験していたことであるが。

 いったん音楽室にもどり、文学館が用意してくれたホッカイロを背中に張ったりする。体育館は非常に寒い。根岸さんがピアノのまわりにヒーターを二台用意してくれたが、手が冷たくなると演奏に差し支えるのが困る。
 我々の前に生徒たちの朗読発表があり、それを見る。スライドを使った「はだしのゲン」の発表。非常に重くて悲惨な内容で、このあとに「ホームズ」をやるのかと思うと、ちょっとためらわれる。が、休憩時間が少しあったりしたので、気を取り直して「ホームズ」の上演時間を迎えた。

 今回の「ホームズ」というプログラムは、シナリオ作成に非常に苦労した。文章が翻訳だし、コナン・ドイル特有の説明臭い内容である。また、ストーリーと会話がメインの娯楽小説でもある。それを朗読劇としてやるとき、どうすればいいのか。とにかくストーリーに添ったストーリー朗読劇にはしたくなかった。
 時間軸と登場人物をばらして、一見目の前で展開しているやりとりとかギャグは非常にコミカルでわかりやすいのだが、全部終わってみるといま見た一連のものがなんだったのかわからなくなってしまう、という構造を作りあげた。見終わった瞬間、見た人はもう一度内容を振り返って反芻してみたくなる、がやはりそこで「わかる」ものはなにひとつない、というものを作ってみた。もちろん、ストーリーも完結していなければ、事件も解決していない。事件の結末を知りたければ、生徒たちは本を読むしかない。
 生徒たちの反応は、最初はぽかんとしたもので、若干引きぎみでもあったが、後半はうまく巻きこめたようだった。
 が、私たちの側にもいくつかの課題は残った。それは過去を振り返っての「反省」などというものではなく、未来を見据えての「課題」として取りくんでいくことであり、そのための貴重な機会を今日は得たのだ。やってみなければわからないことがたくさんある。

 終わってから生徒たちと少し話をし、音楽室に戻る。
 世田谷区の広報の方が来られていて、取材を受ける。
 そのあと、また寒いなか、今度はみぞれが降りはじめたなか、仙川駅まで歩いてもどって、ロイヤルホストで昼食。
 寒かったけれど、楽しくもあり、得ることも多かった「ホームズ」初演の日であった。文学館の皆さん、上祖師谷中学校の生徒さん、先生がた、お世話になりました。またお会いしましょう。

2010/03/08

「沈黙の朗読」公演レポート

 一昨日、3月6日は「沈黙の朗読 - 記憶が光速を超えるとき - 」の公演本番だった。そのレポートを、かいつまんで書いておく。

 3月5日。
 日中、ミシマ社とことのは出版のオーディオブックの収録を羽根木の家のスタジオ設備を使ってやる。
 夜。「沈黙の朗読」のオープニングアクトをやってもらう菊地裕貴が来る。あとでわかったことだが、菊地裕貴=きくちゆきは、名前の漢字表記ゆえにオトコだと思いこんでいた人が多数いたらしい。そういう私も、一番最初のときにはオトコだと思いこんでいて、かわいい女の子とわかったときにはびっくりした。
 名古屋からメイン朗読者の榊原忠美氏(バラさん)がやってくる。この人も忠美=ただよしなのだが、表記から女性だと思われることが時々あるようだ。実際には私同様、髭面のいかついおっさんである。
 夕食に東松原の〈スピリット・ブラザーズ〉に行く。マスターと児童福祉施設〈福音寮〉の子どもたちのための朗読プログラムのことなども、ついでに話す。
 羽根木の家に戻り、翌日の打ち合わせ。いろいろと重要なことが決まる。そして機材の準備。

 3月6日。
 早起きして、羽根木の家に行く。機材運びのためにマルさんが車で来てくれる。ほかに、糟谷くんも早朝から来てくれる。
 朝食を食べてから、タクシーとマルさんの車に機材を分載し、人間もそれぞれ乗りこんで、会場の〈plan-B〉に行く。10時に到着。唐さん、せ~じさん、ふなっち、うららさんが直接現地に手伝いに来てくれる。
 さっそく会場設営作業。私は音響機材を中心に、うららさんや糟谷くんが中心になって照明機材のセッティング。plan-Bの西原さんやスタッフの方もいっしょになって。その他、裕貴ちゃんが使ういろいろなもの、受付関係のものなど、並行して。かなり段取りよくスムースに進んだので、予定より早く照明の場当たりとリハーサルに入れた。とくにうららさんには、照明関係で大活躍していただいて、本当に助かった。
 私の使用機材を参考までに。

・アップライトピアノ(plan-B備品)
・シンセサイザー
・MacBookPro 13インチ(サンプリング音出し)
・MacBookPro 15インチ(キーボードと接続した音源と、客入れ音楽用)
・iPhone(Padとシーケンサー)
・ミキサー代わりのMTR

 合間にまりこに頼んだおにぎりやおかずの昼食も食べる。大変おいしい。コンビニの弁当やおにぎりでないことがありがたい。

 14:30、昼の部、開場。雨が強くなってきたなか、たくさんのお客さんが来てくれた。知り合い、知らない人、twitterで見て飛びこみで来てくれた人、mixiで知り合った人など、ありがたい。
 15:00、開演。裕貴ちゃんのオープニングから始まって(20分弱)、そのまま本編へとシームレスに続く。バラさんの変幻自在な読みに、私もいろいろな音、即興的な演奏でからんでいく。自分が異様な集中のなかにいるのを感じる。まったく集中のとぎれることなく、エンディングの「沈黙」を迎える。
 終わったら、来場の方から途切れのない大きな拍手をいただいて、とてもうれしかった。そして、気がついたら、1時間30分が経っていた。予想しなかった長時間の公演になった。それにまったく気をそらすことなくついてきてくれた観客の皆さんには、本当に感謝。
 終わってから何人かから言葉をかけてもらう。かなりインパクトがあったといううれしい言葉もいただいた。もはや「朗読」というジャンルですらない、という言葉も。意外に「沈黙」そのものの時間は短かったが、その時間すら豊穣なイメージに満ちていてまったく予想と違っていた、ともいわれた。いずれもうれしい感想である。

 あまり休む間もなく、次の公演時間が迫ってきた。
 17:30、夜の部、開場。18:00開演。なぜか、夜の部は未到着の人が何人かいて、しかし時間通り来てくれた人のために時間通りスタート。
 昼の部をなぞることなく、あらたな気持ちでやった。うまくいったかどうかは、自分たちではわからない。
 終わってから、いろいろな人に話を聞き、ちょっと「狙い」通りの結果もあったりして、失敗ではなかったと実感した。とくに、我々のパフォーマンス自体が提示作品ではなく、沈黙がやってきたときの観客のなかに生まれる「言葉」や「イメージ」それ自体が作品である、という意図は、思いがけず多くの人に経験してもらえたようだった。夜の部でも、「沈黙」といいながら全然沈黙じゃなかった、いろいろな言葉が聞こえた、といってくれた人が何人かいた。
 ここのところずっと考えていた「現代朗読」の方法が有効であることを確信できた。

 終演後、会場で打ち上げ。20人くらいの人が残って、にぎやかに歓談。ここでもさまざまな話が出た。また、「再演」を望む声もちらほら出て、実現できるかどうかはともかくとしてうれしい限りだ。
 23時、撤収。
 マルさんの車とタクシーに機材を積みこんで、羽根木の家に戻る。身体はもちろん疲れたが、精神的には非常に引きあげられている。
 こうしてみっちりといろいろなことが詰まった濃密な一日が終わった。