2010/09/21

「特殊相対性の女」公演レポート(6)

玉子、少女、女、老婆、若さ、老い、自由、移りゆくもの。

昼の部は4時すぎに、夜の部は8時すぎに終了。
終演後は昼の部も夜の部もお客さんが残ってくれてお話ができました。またたくさんのアンケートを回収させていただき、うれしかったです。
アンケートの内容についてはまたあらためてご紹介するかもしれません。

こんなに散らかしたのはだれですか?

「特殊相対性の女」公演レポート(5)

木々の写真が投影されたとき、森のなかでやってるみたいになりました。
顔が透き通って見えて不思議。

音倉の脚立を借りて使いました。
石村みかが登ったり降りたり、あるいはくぐり抜けたり。うまく道具として使っています。

アブナいですよー。
バランスもだけど、次の瞬間なにをやらかすやらわからない、ほんとにアブナい女優さんです。
このあと、野々宮は初めて椅子を離れ、上手側に行って、石村みかと対峙する形になります。

「特殊相対性の女」公演レポート(4)

朗読の野々宮も、椅子から動けないなりに、いろいろな姿勢で対抗します。
床には無惨に踏み荒らされた玉子の殻が。

脱ぎます。

私のピアノは、映像、朗読者、役者とアイコンタクトが取れる位置に置いてあります。そのかわり、観客のほうはまったく見えません。ま、ピアノ弾きにはよくある不自由な状況ですが。

「特殊相対性の女」公演レポート(3)

三木義一が用意してくれた映像には、さまざまなものが写っています。海、空、建物、地面、車……
これは時間軸にそって並べられ、私たちが動かすことはできないんですが、いつどこでどんな映像が現れるのかは、私たちはわざと見ないまま、知らないままステージに出ました。
ここでは庭の隅っこが写っていて、その映像のまだらな光のなかに役者と朗読者が入っている光景が、なかなかおもしろい感じです。私の演奏も、写っている映像によって影響を受けます。

野々宮卯妙が低い声で読むなか、石村みかはときおりコンテンポラリーダンスのような動きを見せます。
ときにゆっくりと、ときに激しく、セリフがないときも動きます。朗読の言葉に触発されて動くのかもしれませんし、わき起こるままの自分の衝動で動いているのかもしれません。
パフォーマンスは朗読、演劇、音楽、ダンス、美術、そういったものをすべて含み、あるいはすべての枠を越えることをねらっています。

プレゼンス=いまここにあること、自分自身であること、過去にも未来にもとらわれないいまこの瞬間を賭して、役者と朗読者と演奏家の表現が映像の前で交錯します。
石村みかはなにやら顔に塗りたくり、髪もぐしゃぐしゃにしてなにかまぶしています。

「特殊相対性の女」公演レポート(2)

あっという間に14時になり、開場。開演まで1時間あるので、お客さんはゆっくりできます。音倉は飲食ができるので、食べたり飲んだりする方が多いのです。そしてここの食事はオーガニックなのです。
みかさんも野々宮も開演直前まで客席をうろうろして、知り合いと普通に会話しています。もちろん私も。
げろきょのメンバーがたくさん来てくれました。ありがとう。そして、この人たちは独特のなごやかな雰囲気を共有していて、年齢も立場もまちまちなみんながなにやら盛りあがっています。
NVCの勉強会の知り合いも来てくれました。

15時、開演時間。
なぜかだれもなにもいわないのに、自然に客席が静まりかえって、ちょっとあせってしまいました。不思議な現象でした。
予約の方が何人かまだお見えでなかったが、ほぼ時間どおりにスタートすることに。
照明を落とし、プロジェクターの映像だけになったところへ、まず私がピアノにつきます。
しばらくプロジェクターの映像を見ます。観客に映像への注意をうながすのと、私が映像から触発される音を探す時間です。
まず、ピアノから入ります。それから野々宮が出て読み椅子につきます。
おもむろに石村みかが四角い映像の明かりのなかに入ってきます。
私のピアノが止まったら、石原みかのセリフからスタート。

ところで、よく尋ねられることをここに書いておきます。
役者の動き、音楽の入りのタイミング、読みの調子など、すべて「あらかじめ決められていること」はない、ということです。
あらかじめ決められているのは「テキスト」だけです。それを逸脱することはありません。それが唯一のルールといっていいでしょう。それ以外には、音楽も決まっておらず、メロディもコードもあらかじめ準備されているものはありません。
現場の空気、観客の様子や反応、私たち自身のコンディションや気持ち、この日この時間ここにあるというあらたな実感。そういうものを感じ、全部受け入れながら、コミュニケーションのなかでレスポンスが生まれ、展開していくのです。
あらかじめ用意された決めごとや段取りを押しきるのではなく、その場その瞬間で正直に誠実に表現していく。そういったパフォーマンスを私たちはめざしています。

「特殊相対性の女」公演レポート(1)

2010年9月19日、下北沢2010年9月19日、下北沢〈Com.Cafe 音倉〉でおこなわれた公演「特集相対性の女」の当日レポートを、写真を中心に何回かに分けてお送りします。
写真は現代朗読協会のゼミ生のふなっちが撮ってくれたものです。

9月19日当日、午前10時に羽根木の家に集合。出演者の石村みかと野々宮卯妙、手伝いの照井数男、ふなっち、野々宮妹のエミさんが集合。今回、スタッフは少数だが、劇場ではないので少人数でもなんとかなるはず。
荷物を車に。
このところ、車はいつも現代朗読リスナー協会会員の丸さんに出してもらうことが多かったのですが、あいにく今回は丸さんは北海道の実家に帰省中。なので、うららさんの車を借りることになりました。
うららさんの車は成城に置いてあったので、あらかじめ借りておいた鍵を持って私がこの日の朝に運転してきてありました。
ふなっちを助手席に乗せ、ほかは歩いて音倉へ。
搬入。といっても、たいした荷物はありません。今回は楽器や音響設備がないので簡単。

11時からセッティング。小道具の鳥かごを吊るし、照明を合わせます。
三木義一が作った映像をステージ奥の壁面に投影するんですが、そのスタート・ストップのコントロールはピアノのところから私がやることになっていました。そこでMacBookを持ちこんだのですが、なんとプロジェクターケーブルへの変換アダプタが合わないではないですか。
急きょ、ふなっちに渋谷のアップルストアに行ってもらうことになりました。すまん。
なんとかケーブルをつなぎ、投影も成功。
簡単なリハーサル。
ところで、音倉は「まかない飯」が出ます。これがまたなかなかおいしい。今回はタイカレーでした。ありがとう、音倉。

ステージはピアノ、読み椅子、鳥の羽と玉子の殻がはいった鳥かごがふたつ、玉子の殻だけのシンプルなセッティング。シンプルですが、鳥かごを作ったり、玉子の殻を集めたり、鳥の羽を用意したり、手間はかかっています。出演者みんなでアイディアを凝らしたのです。