2010/09/21

「特殊相対性の女」公演レポート(3)

三木義一が用意してくれた映像には、さまざまなものが写っています。海、空、建物、地面、車……
これは時間軸にそって並べられ、私たちが動かすことはできないんですが、いつどこでどんな映像が現れるのかは、私たちはわざと見ないまま、知らないままステージに出ました。
ここでは庭の隅っこが写っていて、その映像のまだらな光のなかに役者と朗読者が入っている光景が、なかなかおもしろい感じです。私の演奏も、写っている映像によって影響を受けます。

野々宮卯妙が低い声で読むなか、石村みかはときおりコンテンポラリーダンスのような動きを見せます。
ときにゆっくりと、ときに激しく、セリフがないときも動きます。朗読の言葉に触発されて動くのかもしれませんし、わき起こるままの自分の衝動で動いているのかもしれません。
パフォーマンスは朗読、演劇、音楽、ダンス、美術、そういったものをすべて含み、あるいはすべての枠を越えることをねらっています。

プレゼンス=いまここにあること、自分自身であること、過去にも未来にもとらわれないいまこの瞬間を賭して、役者と朗読者と演奏家の表現が映像の前で交錯します。
石村みかはなにやら顔に塗りたくり、髪もぐしゃぐしゃにしてなにかまぶしています。

0 件のコメント:

コメントを投稿